洋食に向かない人

突然だが私は和食が好きである。

基本的に一人暮らししているときは毎食自炊している(しない時もある)のだが、主食は基本お米である。パンや麺類はほとんど食べない。

朝ごはんですらパンを食べない。年寄ではないがパンを食べると口が乾燥する感覚になり、朝からものすごく嫌な気分になる。

したがって家においてあるオーブントースターはめちゃくちゃきれいだし、一度だけ買ったイチゴジャムもほとんど活躍することなく寿命を迎えた。

 

「洋食」と聞かれて一番最初に思いつく食材はハンバーガーである。

なぜか知らないが自分の中では洋食の神様はハンバーガーでありそのほかの洋食はモブ扱いである。ちなみに和食の神様は味噌汁。

神奈川に引っ越してからはファストフードをほとんど食べなくなった。別に群馬に住んでいた時もほとんど食べなかったのだが、ここ最近は特に食べなくなった。他にも食べない理由があるのだがあとで話そう。

 

もう二か月くらい前のことになるが、サークルの同期たちとマックに行ってきた。

食べるものがないし手軽だという理由で人生初(?)の朝マックに挑戦。

別に味の感想はいいや。美味しかっただけ。

役一年ぶりくらいにハンバーガーを食べたのだが、ここである問題が発生。

ぜんぜんきれいに食べられないのである。

パンにはさまれた中身がまぁとにかく暴れる暴れる。食べようとするが中身が黒ひげばりに飛び出してくる。同期に笑われた。

 

そう、自分はハンバーガーを食べるのがものすごく下手である。世界一食べるのが下手だと思ってる。

ハンバーガーがを食べない最大の理由がこれである。

昔小さいころにモスバーガーを食べたのだが、あれは最強レベルで食べにくかった。

留守番している自分がモスを食べようとしていたのだが、中身のソースがとんでもないくらい悪さをしてた。そもそも食べ切れるくらい口が開かなかった。

「中身が言うことを聞いてくれない......なんで.....なんで....」と留守番中に一人で戦ってた。大泣きした。

もちろん戦いに敗北し、食べきれなかった残骸をゴミ箱に捨て二度と食べないと心に誓って幕を閉じた。

それ以来もう十年くらい経つがモスは一度も食べてない。

あれから一つも成長しないで今の自分が出来上がった。

たかがハンバーガーに人生を狂わされた。情けないと思う。

 

テレビの特集で「〇〇キングバーガー」(名前は適当)みたいな食レポをやっていた。

キングの名にふさわしい肉ドーンチーズドーンパンドーンみたいなもうほんとにすごかった。

リポーターも「わぁすごいですね食べちゃいそう」と言っていた。いやこれからそれ食べるんだろ。

普通の人なら「おいしそう」とか「食べたい」とか思うであろう。ただ重度のトラウマを抱えた自分にとっては「食べにくそう」「重ねすぎじゃね」である。

実際リポーターも試食しなければいけないのだが、キレイな顔をすべて否定するような大口でとんでもない顔して食べてた。

 

「うーんボリューミーで美味しい!!食べてみてください!!」

はいはい。

 

自動販売機に感銘を受けた

普段何気なく外を歩いていると高確率で自動販売機を見かける。

家を出てすぐに自販機があるし、10mくらい歩くとまたすぐに自販機。また歩いて自販機。

別のこれは普段見慣れた光景であり当たり前のように背景に溶け込んでいるため疑問に思うことではないのだが、いざ自販機について考えると不思議に思う。

 以前しらないテレビ番組で外国人観光客にとって日本の自販機は素晴らしいと高評価であると放映してた。なぜか知らないが安全性やデザイン性が外国人のツボに入るらしい。スマホのカメラロールが自販機でいっぱいになってた。

どうやら外国では日本みたいに治安が良くない地域が多いらしく、うかつには設置できないらしい。現金を抱えた鉄の塊としか思われないため、強盗とかの絶好の的になる。

 

近所にしゃべる自販機がある。

ジュースを買おうとしたら「お疲れ様ですお飲み物はいかかですか」と言ってくる。

お仕事お疲れ様ですとか、お体にお気を付けくださいなどボキャブラリーが富んだ奴なのである。めっちゃいい人じゃねそれ??

疲れた人を癒してくれるような女性の声と飲み物。結構得した気分になる。

調べてみるとあの自販機はただものじゃないことが判明した。

地域の方言にも対応し、言葉遣いやニュアンスを微妙に変えてくる。おまけに日本語だけでなく英語をはじめとする多言語対応を実現してる。「なんや、どうしたん何が飲みたいん??」とか言ってくるのだろうか。

もはやそれは人を超えた存在であり、ただ飲み物を販売する機械の範囲では留まらなくなってる。

おまけに自販機は言語機能が搭載されているのにもかかわらず泣き言を一切言わないのだ。

嵐や豪雨でもただひたすら購入者を待つ。素晴らしい不動の精神だと思う。

「やべーよー雨つらい」「まじ外寒い」とか言ってたらすごい面白い。

 

まずなんでこの題名で記事にしたのかというと、自販機がもし人間みたいな会話ができる奴だったらどうなるのかと思ったからだ。不屈の精神の持ち主が悪い奴なわけない。友達になりたい。

 

例えば私が自動販売機とさしで飲みに行ったとしよう。(自=自販機)

:お疲~

:悪かったね遅くなって

:いいや平気、俺もさっき来たところ。

:足元に設置してあるコンクリが重くてさ、移動が大変だったのよ。

:お前倒れたら危ないしな。仕方ないよ。最近どうよ?

:ああ最近はあったかい飲み物が多く売れるな。外は寒いのに俺は温かくなくちゃいけねえ。大変さ。

:表面は寒くて中身は温かいんだろ?いいじゃんそれでお客さんが喜んでくれて。

:ああ俺もそれがやりがいだよ。この前なんて俺の下に小銭落っことした奴がいてよ、拾ってあげられなくて悲しかったぜ。

:しゃがめない構造だからここは見守るしかないよな。どうなったん?

:結局そいつは小銭をあきらめてな。腹いせに俺のことを蹴っ飛ばしていったぜ。

:理不尽だな。そいつはいくら落っことしたん?

:500円玉さ。まったくそれでジュース何本買えたことか。。

:そういえば。彼女どうなん?気になってただろ?

:ああ、、。彼女は一昨日撤去されちまったよ。

:ごめん。変なこと聞いて。

:いいんだ。もともと彼女はお釣りをきちんと返さない奴だったらしくてな。管理者もそれに怒ったらしい。結果としてこれで良かったのかもしれない。

:まぁ世の中いろいろなやついるしな。またいい奴見つかるかもな。

:そうだといいんだけどな。だけど明日は我が身だぜ。俺もいつ故障してもおかしくない。

:後の事なんて考えるなよ。まぁとりあえず飲もうぜ。ここいい店なんだぜ。

:そうだな。いろいろ考えるのは止めにするわ。

 :「「乾杯」」

 

 

 

なんだこれ。

 

マウント富士への信仰

世の大学生はテスト期間である。

 

先週の土日に静岡県に行く機会があった。

母の実家が静岡にある関係で別に静岡に行くのは何も珍しい事ではないのだが、今回はいつも通りの旅行ではなく大会の選手という立場なのだ。

 

そこの訪れた水泳競技場のすぐ近くは、あの有名な富士山がデカデカと眺められる最高のシチュエーションが設けられていた。いつもの旅行では残念ながら富士山は見えない場所なので久々に風景で心が躍った。

数年前に夏の富士山を間近で見たときは全然大したことなかったのだが、今回は山頂付近に雪が積もり山肌が美しい富士山だったため思わず写真を撮りたくなるほどだった。

 

確かに貫禄がある。日本一を名乗るにはふさわしい山なのではないだろうか。

多くの日本人なら「何を写真の風景にしたい?」って聞かれたら富士山って答えるであろう。いま流行りのインスタ映えも簡単に実現する魔法。

そのあまりの美しさゆえに人々を魅了し続けている富士山なのである。そう、デキる奴なのである。自分も富士山になら抱かれてもいい。

 

冬の富士山を間近で見たのは大会初日の競技場に向かうタクシーの中だった。同乗している仲間もめちゃくちゃ感動していた。

>すごいめっちゃ富士山キレイ

>いや初めてこんなにきれいに見た

>でかいな

などなどさまざま。

タクシーの運ちゃんもそんな感動している自分たちに向けて得意げに富士山について語ってくれた。ただ内容がローカルすぎてほとんどわからなかった。

 

そんな感動に包まれた初日。正直富士山を見たから帰ってもいいんじゃないかと思った。さわやかのハンバーグとみかん食べれば幸福度が最大になる気がする。

 

しかし次の日。

競技を終えて帰りのタクシーの中で仲間がこのような言葉を発した。

 

「もう富士山飽きた」

 

慣れって怖いと思った。富士山を見た初日の感動はどこ行ったのやら。日本一が聞いて呆れる。

正直な話、実は自分も富士山に飽きていた。考えられる理由はあの大きさにあるのだと思う。

富士山がよく見えるところにいると自然と視界に富士山が入り込んでくる。

自動販売機でジュース買うとき、コンビニ行くとき、散歩するとき、ふと窓の外を見るとき。

これらの行動に共通することは「富士山が見える」 である。

最初のうちはまだいい。奇麗だな壮大だなで済ますことができる。しかしその感情が薄れてきたとき、自分の中では「また富士山」になる。

大きすぎるが故の圧倒的存在感。自分はそれにうんざりしてしまったのかもしれない。不思議なことに帰りのタクシーの中ではもう富士山に抱かれたいとは思わなかった。

 

さすがに富士山がかわいそうに思えてくる。本人(富士山)はただ山として聳え立っているだけなのに「美しい」「壮大」と勝手に崇められ、さいごは「飽きた」。

ただ魅力的には日本一には変わりはない。これからも多くの人を魅了し続けるであろう。飽きっぽいだけであとはパーフェクト。

一富士二鷹三茄子という言葉もある。根はいい奴なのである。

 

富士山には腐らずめげないでたくましく生きてほしい。なぜか勝手に親心が芽生えてしまう。疲労困憊の学生が考えるくだらない話である。

切れてるバターへの執着

一人暮らしをしていると料理をすることが非常に多くなる。

野菜炒めやら卵を使った料理とかいろいろあるのだが、群馬から下宿先に引っ越すまでずっと料理をしたことない私にとって毎日の献立を考えるのは至難の業である。

市販で売られている「旨くなる調味料」みたいなやつを買って何とか味に個性を持たせようと必死になっていた。

 

ある時である。その日はなぜか無性に菓子パンみたいな甘いお菓子が食べたくなり最寄りのスーパーであるものを購入した。

ホットケーキミックスである。

今思えば普通に菓子パンを買えばよかったのだが、自分の手でお菓子を作ってみたいという欲が強くなり、しかも昔製法に失敗して軍艦島みたいなホットケーキを作った経験があったためリベンジにはちょうどいいと思って購入。

その時に一緒に購入したのが小分けになっている「切れてるバター」である。

 

もちろんホットケーキは無事に作り美味しくいただいたのだが、切れてるバターが余ってしまったのである。当時の私はバターなんてホットケーキかじゃがバターくらいにしか料理に使わないと思っていた。

ここでいっそのこと普段作っている料理にバターを加えたらさらにおいしくなるんじゃないかという考えが芽生え、少しづつであるが使用していった。

結果は大成功。美味しいじゃん。

普段の料理にちょい足しするだけで味が劇的に変化する。もはや魔法と言ってもいい。

成功の秘訣は一定分量で小分けされている切れているバターのおかげあると確信していた。調理において一定分量であるため、次に同じものを作ろうとするときに非常に助かる。

 当然調理に使用していたら無くなるのでまたスーパーで追加で購入。

しかし私が住んでいるスーパーはなぜか知らないが短期間で違う種類の品が入れ替わるのである。「ずいぶん前まであの商品あったのに」みたいな経験は何度もしている。

その現象が自分が追加でバターを購入する時におきていた。

バター自体は存在するのだが、どれも小分けになってない煉瓦見たいなバターばっかりだった。ついこの間まで切れているバターがあったのに。

仕方がないので小さめの自分で切って使うタイプのやつを購入したのだが、これがずいぶんな曲者だった。

料理するときに正確な分量でバターを加えるのが困難になったのである。

本来小分けになって手軽に料理にポンするだけで美味しくなる魔法の食材であったが、自分で包丁で切って適当に入れるのは本来の手軽さを見失っているのである。

ポンで美味い。このコンセプトが重要なのだ。

 

いつの日か自分はスーパーの売り場に切れてるバターを探すようになったのだが、自分の願いは虚しく一向に入荷しない。

全部レンガみたいな箱。もしくはビン。ちょうどいいサイコロみたいなあれは姿を消してしまった。

しかし自分は「切れてる」に執着するあまり、「明日は切れていてくれ」「もうお前がカットされてもいい」のようなこと思い始める。ここまでくるともはや宗教レベルである。

何日もこれを繰り返しているとある異変に気が付く。

「切れてるバター」から「切れていてほしいバター」と思うようになり最後は「切られてくれバター」とシフトしていた。国語の授業で習いそうな活用形の変化。

ここまでくると自分が馬鹿らしくなってくる。もうバターじゃなくて違うもので食べ物を美味しくしようと躍起になることができた。

新しく開拓したのは香味ペースト。野菜炒めにおいて絶妙な力を発揮してくれる。

奴が店頭から姿を消してからもうしばらく経つが、いまだに消息がつかめない。もしかしたら無関心になっているだけで入荷されているのかもしれないが。

その間に自分は料理の腕をものすごい上げることができた。

結果オーライである。

ありがとうバター。君は料理の味と私を変えてくれたよ。

 

毎日スーパーでそんなことを思っている。そんな悲しい大学生のお話である。

 

 

 

変更について

家に身に覚えがないお茶漬けの素が大量に出てきたんだがもうこれは繁殖して増えたとしか考えられない。

 

こんばんは。

 

気づいてしまったか。そうです。

ブログのデザインとかURLやらいろいろ変わりました。今回からはてなブログというやつを使って記事を作成していきたいと思う。

 

変更した理由はいろいろあるのだが、一番の理由は今まで運営していたブログがなぜか使えなくなったことです。

今まではブログはネットオウルというところからサーバーをレンタルしてドメインやらいろいろアレコレしてWordpressで自分でデザインやら管理やらしていたのだが、

つい二か月くらい前にブログが謎の死を遂げて動かなくなりました(合掌)

賢明な蘇生も虚しく失敗に終わり、別もうにさほどやる気も無かったため運営せず。

 

ただ2018年新たな年になってなんかやらなきゃという使命感にかられたときに停止していたブログをもう一回やろうと考えて今に至る。

 なぜはてなにしようと思った理由はたくさんあるのだが、まずブログのデザインがいろんなところに素材が転がっているもんだからまぁ楽。

 あとは前回のブログはアクセスカウンター(リンゴのやつ)をその辺のサイトから引っ張って使っていたのだが、嬉しいことにはてなの場合アクセスカウンターが普通に最初からついているのである。

使い勝手が楽というのが一番の理由です。

 

今後ともまたよろしくお願いします。更新ペースが適当なのは前回同様きちんと受け継いでいるんで。私は故障してないんで....ええ。