切れてるバターへの執着
一人暮らしをしていると料理をすることが非常に多くなる。
野菜炒めやら卵を使った料理とかいろいろあるのだが、群馬から下宿先に引っ越すまでずっと料理をしたことない私にとって毎日の献立を考えるのは至難の業である。
市販で売られている「旨くなる調味料」みたいなやつを買って何とか味に個性を持たせようと必死になっていた。
ある時である。その日はなぜか無性に菓子パンみたいな甘いお菓子が食べたくなり最寄りのスーパーであるものを購入した。
ホットケーキミックスである。
今思えば普通に菓子パンを買えばよかったのだが、自分の手でお菓子を作ってみたいという欲が強くなり、しかも昔製法に失敗して軍艦島みたいなホットケーキを作った経験があったためリベンジにはちょうどいいと思って購入。
その時に一緒に購入したのが小分けになっている「切れてるバター」である。
もちろんホットケーキは無事に作り美味しくいただいたのだが、切れてるバターが余ってしまったのである。当時の私はバターなんてホットケーキかじゃがバターくらいにしか料理に使わないと思っていた。
ここでいっそのこと普段作っている料理にバターを加えたらさらにおいしくなるんじゃないかという考えが芽生え、少しづつであるが使用していった。
結果は大成功。美味しいじゃん。
普段の料理にちょい足しするだけで味が劇的に変化する。もはや魔法と言ってもいい。
成功の秘訣は一定分量で小分けされている切れているバターのおかげあると確信していた。調理において一定分量であるため、次に同じものを作ろうとするときに非常に助かる。
当然調理に使用していたら無くなるのでまたスーパーで追加で購入。
しかし私が住んでいるスーパーはなぜか知らないが短期間で違う種類の品が入れ替わるのである。「ずいぶん前まであの商品あったのに」みたいな経験は何度もしている。
その現象が自分が追加でバターを購入する時におきていた。
バター自体は存在するのだが、どれも小分けになってない煉瓦見たいなバターばっかりだった。ついこの間まで切れているバターがあったのに。
仕方がないので小さめの自分で切って使うタイプのやつを購入したのだが、これがずいぶんな曲者だった。
料理するときに正確な分量でバターを加えるのが困難になったのである。
本来小分けになって手軽に料理にポンするだけで美味しくなる魔法の食材であったが、自分で包丁で切って適当に入れるのは本来の手軽さを見失っているのである。
ポンで美味い。このコンセプトが重要なのだ。
いつの日か自分はスーパーの売り場に切れてるバターを探すようになったのだが、自分の願いは虚しく一向に入荷しない。
全部レンガみたいな箱。もしくはビン。ちょうどいいサイコロみたいなあれは姿を消してしまった。
しかし自分は「切れてる」に執着するあまり、「明日は切れていてくれ」「もうお前がカットされてもいい」のようなこと思い始める。ここまでくるともはや宗教レベルである。
何日もこれを繰り返しているとある異変に気が付く。
「切れてるバター」から「切れていてほしいバター」と思うようになり最後は「切られてくれバター」とシフトしていた。国語の授業で習いそうな活用形の変化。
ここまでくると自分が馬鹿らしくなってくる。もうバターじゃなくて違うもので食べ物を美味しくしようと躍起になることができた。
新しく開拓したのは香味ペースト。野菜炒めにおいて絶妙な力を発揮してくれる。
奴が店頭から姿を消してからもうしばらく経つが、いまだに消息がつかめない。もしかしたら無関心になっているだけで入荷されているのかもしれないが。
その間に自分は料理の腕をものすごい上げることができた。
結果オーライである。
ありがとうバター。君は料理の味と私を変えてくれたよ。
毎日スーパーでそんなことを思っている。そんな悲しい大学生のお話である。